2020/06/26
『地方が熱い!地方で勝つ!』①
~2011年夏 10年の海外生活を終えて完全帰国編~
『ウォーーーーーーーーーー!!まじか!?』
『なんてまぶしい!!』
『この夕日、これはすごい! なんの畑? めっちゃ綺麗だ!』
『いた!いた!あそこにも! 飛んでる!飛んでる!』
さて質問です。ここで飛んでいたものは何だと思いますか?
① 蚊
② アゲハ蝶
③ ほたる
④ 雪虫
私が10年間の海外生活を終え日本へ完全帰国したのは2011年7月。夏、真っ盛り。北海道に降り立ち千歳空港から深川駅へ向かう電車の中で
『ウォーーーーーーーーーー!!まじか!?』
『なんてまぶしい!!』
と心の中で叫んでいた。
ちょうど北海道は夏。見る景色全てがギラギラしていた。帰国前に住んでいたのがロンドン。住んで5年が経過していたからかな。ロンドンって雨のイメージがあるでしょ。チャップリンも傘を持っているのはその象徴。そう、ロンドンの夏はギラギラというよりは、つかの間の夏を公園の芝生で過ごしたり、夕方にはパブ(酒場)にごった返すビジネスマンがいたり、地下鉄での移動や2階建てバスで移動しても、コンクリートばかりだから、ギラギラ感は少ない気がする。
だからなのか、北海道のあの時のギラギラ感が今でも頭の脳裏から離れない。
そしてその電車は北海道深川駅へ。深川市の人口は2万人。どんな生活が待っているのかな~と期待と不安の中、叔父さんが「温泉に行こう!」と沼田町にある『ほろしん温泉』に誘ってくれた。温泉に入って、ほたるを見ようと叔父さんが提案してくれた。帰国して数日後の夕方、叔父さんが車のハンドルを握り、その助手席に私が乗り、後部座席には、叔母さんと、母と、祖母が座った。
31歳になる今まで車でドライブなんてしてこなかったな~。と心の中で思いながら、助手席の窓から外を見ていると、温泉に行くまでの途中に山道がある。そこで目にした夕日とお米の畑。
『この夕日、これはすごい! なんの畑? めっちゃ綺麗だ!』
衝撃的だったね。空知って米どころで、いたるところで田園風景がある。そんな日常が今まで見たことのない光景として、目の前に広がっていて。しかも、キラキラ光っているんだよね。そして夕暮れになると、太陽が真っ赤になってさ。空は青から紫色やオレンジ色に徐々に変わっていく。あのコントラストとお米の畑が何とも言えなくてね。しかもそれって、ずっとあるものではなく、その時、その瞬間というか、刻々と変化していく。お米を作る農家さんと北海道の自然がもたらすアート作品のように私は感じたよ。
そして、温泉に入り、暗くなって蛍が生息している『ほたるの里』へ。暗い中、温泉に訪れたお客さんがみんな森の中へと消えていく。
『いた!いた!あそこにも! 飛んでる!飛んでる!』
31歳の大人が、心躍らせてね~。恥ずかしいという気持なんか全くなかったな~。
蛍を見たことがなかったからね。しかも帰国してすぐだったから感情表現は今よりも⤴だったと思う。
帰国後のワシ(左:花火大会前 右:畑作業)
この北海道にもどった数か月間の記憶は今でもはっきりと覚えているよ。めちゃくちゃ衝撃をうけてね。きっと、住み慣れた人には当たり前かもしれないけど、コンクリートの世界で育った私にとっては、とても新鮮で、今までの価値観を180度転換する出来事が起こったよ。
10代で東京へ。体力、学力面でも北海道とレベルが違ったかな。しがみつくようについていったよ。
挫折も味わったし、19歳の時、20世紀の最後の年。そこで人生を大きく変える人生の師匠もできた。
20代前半は中国の経済特区の深センへ。深セン大学に留学して半年もたたずにベンチャー企業に入社して、中国の広東省に進出してきている日系企業に人事方面でのお手伝いをする会社に営業マンとして働いた。5年間で従業員4人から30人規模に。当然会議は中国語。主要都市にもオフィスを展開していったりと、楽しかったな~。中国ビジネスで景気も良くて、そこで活躍する日本人とも仲良くなった。何人の方とは今もつながっている。
20代後半はロンドン。赤いズボンが擦り切れても、擦り切れても履いていたな~。
当時の写真。赤いズボンがワシ。
才能もないのにバンドマンを夢見てロンドンへ。ロンドンでは日本料理店やラーメン屋、ジャズバーなど3つのアルバイトを掛け持ちしながら生計をたて、そしてバンド活動の資金にあてていたよ。お金がなくて、スーパーで買った『Washed Spinach』(既に洗ってあるほうれん草)を歩きながら食べていたことも。ポテチよりはるかに健康的!と思いながらね。
音楽活動時代のロンドン生活については、今後書こうと思っている。とにかく20代はがむしゃらにやってきた。それが良かったんだよ。だから、今は夢に向かう若者を応援したいし、期待もしている。そんな若者が、わが地域に増えてほしいとも思っているし、そういう人の何かの一助となれればとも思っている。とにかく、可能性は皆がもっている。それは若かろうと、若くなかろうと一緒だと思う。私も、今でも若い時に感じていた気持ちを忘れちゃだめだ!と疲れた体と勝負しながら取り組んでいるよ。まだまだ、若者には負けられん!と思いながら。(←こう思っている時点でもう、じじぃだ。)
ここ北海道の空知はまだまだ未開の地域だ。何もないと思っている人たちも多いと思うが、その原石はすでにあって、それを活用しきれていない。いや既に気づいている人がたくさんいて、歯車は回り始めている。インバウンドという声を私が帰国した時より、耳にするようになった。帰国してすぐ空知にワインがあることも注目をしていた。そのワイン製造者もここ数年で増えたことも、起業をする判断材料となった。
しかし、今となってはインバウンドの『イ』の字も口にしてはいけないような雰囲気になってしまった。国内需要だと方向転換をしている。でも誰しもがインバウンドの可能性を感じているし、また、海外の人が北海道へ訪れてくれることを楽しみにしているだろう。私もその中の一人である。そして私は必ず、ここ空知の魅力を世界の人に味わってもらいたいと思っている。それが、きっと私の使命でもあるからだ。だから、その時のために準備をする時間が増えたと思っている。海外からも、ここを好きになって移り住むような人が増えてほしいと思っているんだ。
ここ空知の特徴は雪が多く降ることだ。『雪!半端ないって!』が空知の特徴だ。この雪のおかげで、冬には猛吹雪の中車を走らせて、吹き溜まりの中に突っ込んで、必死になって、そこから脱出するという体験を何回も経験したことも、ここならではだと思っている。
冬春創社のロゴは空知の吹雪をイメージしている。さらにToushun Sousha の頭文字を取り、TSと見えるようにしている。この吹雪の体験も空知に住んでいるからこそ味わえる。現に、豪雪を利用してワインを育てていること自体、ここ空知ワインの特徴だ。
この夏で、完全帰国して9年が経過する。子供も6歳、4歳、1歳と自由奔放に成長してくれている。そんな中起業し、ESPRESSO STAND PLATSを開店してからは休みがなくなってしまい、妻には苦労を掛けている。家事と育児に必死に頑張ってくれている。そんな妻にとても感謝している。
まだまだ、私の会社も風が吹けば飛んでいくような会社であるが、必ずどんな風が吹いても飛ばないぐらい、根っこを縦横無尽にはりめぐらせていきたいと思う。冬春創社の『創』はそのために必要なクリエイティビティを大切にするという意味を込めた。そして創造力が豊かな人材が、ここ空知を舞台に活躍し、地域に光をともしてほしいと願っている。そして、冬春創社として、一緒に世界へと羽ばたいていく日を思い描いている。
PS:今、別の事業で映像を作り始めている。この事業は数年後に取り掛かれればと思い構想を練っていたものだが、縁あって5月より取り掛かり始めた。どんな映像になるかはこうご期待!
次回は、~空知に残ることを決意した理由編(仮)~を予定。 では。チャオ!
冬春創社 代表 片山 順一